Demolition(雨の日は会えない、晴れた日は君を想う)
早稲田松竹で見た。
邦題に惹かれたけど、見終わった今は別に邦題に用はないわ。
見終わった後、特別に晴れた思いを抱いたわけでもないし、劇的なラストを迎えたわけでもないんだけど、なんでだろ、書きたいなって思った
私が幼くて回収できてない伏線があるからかな
まずは、カレンの存在。
えーカレンはなんで恋愛できないのー
dangerousてなにがー
なんでディヴィスに惹かれたのー
で、クリスの存在。
クリスはリンチ?にあってそのあと乗り越えたのー
demoitionのあとなにかを作り直せたのー
何よりディヴィスが妻を思い涙を流せたのが、加害者のお墓まいりをきっかけにしたのが謎。そういう捉え方をさせる意図じゃないのかもしれないけど、シーンが続いてたからさ。そう捉えざるをえない気がした。私はね?
で、別に伏線回収しきれなかったことを言いたいんじゃなくて。
私はこの映画を見てる時、綺麗な対比を描きたいのかなーとか、そうだったら捉えすいなーって思いながら見てて。
ディヴィスとフィルの。妻が亡くなった瞬間に「悲しい」という気持ちを見つけ出せなくて、不器用(と私は思う)に”自分”を探していく夫。と、娘が亡くなった瞬間に「悲しい」と言え、「愛している」と表せて、器用に奨学金のプロジェクトまで進める父。
もうすこしで心の暖かさとか豊かさとか深さとかの話だと完全に思い切るところだったわ。父が名誉大好き人間かと。
多分、私自身が、心の底から思ってることしか表現したくないって人だし、ひどい時には心の底から思ってることこそ表現したくないって時もある人だからこの構図を思い浮かべたんだろうけど。
、、、でも実際は、フィルはそんなに冷淡でもなくて。どうやら心のそこから娘を溺愛してたみたいで。(あーあもしそうじゃなかったらこの映画しっくり鑑賞できましたっていえるのにぃ笑)
で、すっきりしない映画だなーとか思って、
前日とか、一週間前にみた日本のサスペンスとかヒューマン映画って、ほんっっっっっっっっとに全て説明してくれてて。会話とか異常に説明要素が強くて、意見とか評論とか感想とか批評に鑑賞者のそれぞれがあったとしても、内容とか、結末自体にそれはないので、
当たり前に、結論はこうゆうことだよね、こういう「起」「承」「転」「結」があったんだよねって解釈がほぼ一通りしかないんだよね
っていうことを思っていたんだと思う。
でも、この映画見て、あー説明不十分よく分からない低評価!と一概に思えない私がいて。笑
多分いろんな経験した人生があって、人の考えの多様性とか、瞬間ごとに違う私の多様性とか、うーん。友達とか尊敬する人とか苦手だなって人とか、いろーーーんな人に出会った今、この時だからこそそう思えたのかなって。
だからこの映画が、私にくれたものは、120分以上の価値が有る。し、自分でいっちゃうけど人間の成長を自分で感じる瞬間を生み出してくれてありがとうってかんじ(笑)
話は映画の内容にもどって。
わからなくなったら全部分解してみるんだよ。源がわかるように。そうしたらまた自分で作り直す。
ってことがこの映画のぼんやりとした軸みたいなものかなって。うーん。ディヴィスは少なくとも。
分からないことに対して、不器用にまっすぐなひとにやっぱり惹かれるなぁ。と思ったな。私にだってリアルに生きてる人にだってわからなかったり、ひっかかったり、もやもやしたり今のままじゃダメだなって思うことはあって。
それを言葉にするのも違う。勝手に大雑把に、あるいは大げさにまとめてみたくもない。どうすることもできないからがむしゃらになってみる。だけど、がむしゃらになるだけじゃなくて、前に進まなくちゃいけない。ただ壊すだけじゃなくて、搔き回すだけじゃなくて、前に。
って映画。(笑)
書きたいことは書いたな。
例によって読みづらい書き方をしてしまった( i _ i )
まあいいや、