公式であるということ
タイトルだけ書いては本文になにもかかずに、保存されていた記事。
だからきっとタイトルと本文とがちぐはぐどころか、繋がりが見つからない。
あるいは優秀な読み手だったならそれを見つけてくれるのかな。
もう春になってからだいぶ時間は経っているのに、まだまだ私はあ、春だ、と思う日がある。
ふわっと目の前を過ぎる風が生暖かかった時
とっても寒い夜がどこまでも続くのかと思ったのに、朝起きたらコートが要らなかった時
AppleMusicで不意に、清水依与吏のぬったりした声が聞こえた時
好きな人の好きなものでありたいという思い。強い思い。それでいっぱいいっぱいになって息ができなくなるなんて、なんて恥ずかしくて、でも幸せなことなんだろう。
なにも考えなくていいくらい、好きな人の好きなものを好きになりたいと、本気で思っていた。
だから、聞いたこともない60年代のロックを聞き、アメリカのポップを聞き、ジャズのかかる喫茶店に通いつめた。
そんな日々もずっと好きだったし、そんなこともずっと好きだった。
それでいつの間にか私も彼らに詳しくなり、界隈の中でトレンドを追えるようにもなった。
彼と別れた。
Spotifyではアイドルを聞くようになったし、時間が空いたらタピオカのお店にいくようになった。私はこれらが、好きだった
彼が好きだと言っていたあの曲、あのバンド、全然好きになれなかった。
それが寂しかった。
だからどうとかいうものでもないんだけれど。