気分や大学生のぶろぐ

もう23なの

綾野剛に惹かれることについて

ジャニーズとか、男アイドルとか、俳優とかモデルとか、あんまり惹かれたことがなくて

 

好きな芸能人って聞かれたら本気でバナナマン設楽(と千鳥大悟)って言ってました。

 

そして、山崎賢人とか竹内涼真とか好きな女の子、まじかって思ってた!演じる男の子はすごく爽やかでそれはもう好青年で、顔だけでなくそんな男の子に出会ったことなかった。のでなんか好きとかかっこいいとかいう感情にならなかった。わぁ、すごい、みたいな。(菅田将暉はかっこいいのちょっとわかる。鼻すべり台なのもわかる、すごくいい)

 

 

なんだけど、最近薄々綾野剛に惹かれるのにきづいてる。

ピースオブケイクみた??てかリップヴァンウィンクルの花嫁もそうだ、あの感じ何?

つまり。不器用で下手くそな笑顔と似合わない笑い声が鼻につくくせに、バシッとプライドが強くて、欲望も強くて、責任感もオレオレ感もある。いわゆるいい人にもなれるのに、二人になると声のトーンが一つ上がったり、下がったりする可愛さもある。

 

好きな人の好きなところも、好きな人がへなちょこなところも、好きになって、っていう図々しさが彼にはあると思うのですが

 

 

 

このブログって

誰かに読まれてるのですかね?

他人に読まれるような書き方でも内容でもないので、読んでくれているとしたらわたしのしりあいなのかな。どこから知ったんだろう?しりたいな

 

ほんとに最近お酒が好きだということがわかった、ワイン以外の。

早く髪染めてアメリカと大分と島根にいきたいヨーロッパ

成長するために人と会う訳でもないでしょ?

何かを知りたかったときに、私は適切な質問ができない。気がする。

どんな質問をすれば聞きたいことが聞けるのかって、結構大事で、頭の良さがでる。ちゃんと聞けて、得られて、それにリアクションすることの難しさって、きっと意識しないとわからない。特に日本語だと、会話があっちこっちいったとしても何もなく、ふわっとその場を成立させることができるから。

普段からそう。
相手の好きな映画を知りたいからといって、好きな映画を聞く。その人が映画を好きなら完全なる映画論を説いてくれるだろう。けど、多くの人はそうではない。映画かぁ、あんまりみないなぁ。そういった時点でこっちも落ち込む。あぁ、映画見ない人なんだ。同時に相手も困惑している。映画なんてなんで聞いたんだろう。映画見たいのかな。話題の映画とかおすすめがあるのかな。こちら側としてはそんなものはない。多少、好きな映画が同じだったら運命を感じるなくらいの気持ちであるけれど、そんな奇跡を到底信じてはいない。ただ、人となりを知りたいための映画なのだ。あるいは、相手に興味を持てるフックとなり得るものとしての映画なのだ。どんな課題をも期限に余裕持って提出している彼女がアベンジャーズを好きと言っても、coenのトートとアイボリーのジャケットが似合うあの子が海街ダイアリーを好きだと言っても、金髪とピアスの彼がコナンを好きと言っても、それから眼鏡の彼が東京物語を好きと言っても。映画を通してだったら、どんなギャップも、非ギャップも、フックになれる。
あるいはそんなことはどうでもよくて、私は映画というフィールドに相手を引き込みたかったのかもしれない。特別大好きというわけでもないけれど、すきとこころから言えることを話すときは、自分は寛大になれる。
ともすれば、好きな映画なに?の質問はまったく効果的ではない。遠回りすぎる。

遠回りすぎて、聞きたいことが聞けない。話したい話をできない。退屈になるかもしれないし、時には幻滅し合うかもしれない。
思ったことがそのまま実現されたら、どんなにラクだろう。
もちろん激しさや苦しみはないけれど、安心や落ち着きはある。
知りたい意欲があるときに、ECのようにポンと、しっかりとほしいものが手に入る。それは効率的で、はたまた計画的成長のように見える。いわゆる、レール。計画的。エリート的成長なのだ。

知りたかったことがあるときに、私は適切な質問ができない。
それが本当に知りたいのかわからない。
何を知りたくて、なぜ知りたいのか、誰にどうやってきけば良いのか、わからない。
それをわかったほうがいいよっていう大人も、沢山いると思う。わかるべきだという人も、沢山いると思う。




知りたいことを、ちゃんと知るために生きているわけでもないからなぁ。

責任転嫁するとしたら

やりぬいた、ことなかった

見つけて決断した、ことなかった

心のそこから好きだったり嫌いだったことなかった

 

 

 

 

でも

こうして考えられるのは

やりなさいってことに成果を出す方法と姿勢を身につけられたからだし

こんなに認識できるのは

愛されてすごしたこと、それにちゃんと気づいているからだし

何かを持っていないこと、ではないことにも惹かれているって思うから、責任転嫁はできません

働くということ

前置きは省く

 

はたらくということ

誰かのために何かをする

誰かになりたくて何かをする

何かをしたくて何かをする

何かをしたくなくて何かをする

誰かに頼りたくて何かになる

誰かに頼られたくて誰かになる

誰かに頼りたくなくて何かになる

何かわからないから何かをする

何かわからないから何かをしない

 

働くって

生きるってこととは違う?

どうしたいって

自分で決めなきゃいけない?

苦しいことではないし、前向きなことだけど

はっきりわかりたくて、わからなくて、はがゆい